2度目のmy home*

ごく普通のサラリーマン家庭の我が家が2度目の家を新築するまでのお話とその後の記録です。

家を買い替えようと思ったきっかけ。

 

 5年も住んでいない家を売る決意をしたのは、私たち家族の低迷期のような時期でした。

 

娘は3歳で可愛い盛り。

『小さいながらも楽しい我が家』がモットーでしたが、実際は子どもが保育所に入ったら復帰したいと思っていた保育士の仕事も、子どもがしょっちゅう熱を出すので諦めて、急な休みでも大きな迷惑にはならない仕事をと、近くの会社でやった事もない事務の仕事をして毎日くたくた。

 我が家を十分楽しむ余裕が私にはありませんでした。

 

もう一つ、私は不妊症で治療がうまくいっていませんでした。

1人目の時も治療しての妊娠だったのですが、若かったのもあってか薬の服用とタイミング療法だけで割とすぐに妊娠し、2人目もきっとそんなものと軽く考えていました。

でも2人目はなかなかできず、薬を変えたり病院を変えたり。

薬だけでは望みがなくなって毎月5回くらい注射もしていました。

やっと妊娠したと思ったら、すぐに稽留流産。。。

また治療を頑張る気持ちにもすぐにはなれなくて、もう3人家族でいいよねって口では言いながら、お友達の妹や弟に優しくする娘の姿を見ると後ろめたくて。

 

不妊治療に疲れ果てていた私たち夫婦は、なんとなく気持ちがすれ違っている時期でもありました。

いろんなことが重なってしんどくなり、何もかもリセットしたい気持でいっぱいになっていたんだと思います。

 

でも、それが住み替えにすぐ繋がったわけではありません。

近所に、私と娘にとってこわい人がいました。

どう表現するのが適切かわかりませんが、身体がとても大きな中年の男性です。

何か働けない事情があるようで、日中は家の近所をうろうろ。

袋小路になった住宅地の1番奥にある我が家の前にもよく立ち止まっていて、買い物に出ようと玄関を出ると立っていることもしばしば。

慣れるまでびっくりすることもありましたが、ほかのご近所さんがしているように、私も軽く会釈したり普通に接するようにしていました。

周りの人たちは多分、その人が子供の頃から知っているのだと思います。

その住宅地で顔の広いお年寄りがその人の両親だったので。

 

見た目は怖かったけど、危険はないんだと言い聞かせて子どもと一緒の時なんかはきちんと声に出して挨拶するよう心がけました。

でもそれがよくなかったのか、家の前に出没することが増え、夏に子どもをビニールプールに入れているとずっと前でうろうろ。

私に話しかけてくることも増えてきましたが、いつも何の話かわからない内容でした。

 夫に言っても日中家にいない夫には、私の恐怖を恐怖と捉えないように努力している気持ちをちゃんとわかってもらえず、それが原因で喧嘩したり泣いたりする事もありました。

 

もう無理と思ったのは、卑猥な言葉を投げかけられた時です。

我が家には一人娘がいます。ここでは安心して娘を育てることはできないと思いました。

 

そこからです。

住み替えを考えるには至らない程の小さないろんな事はありましたが、まさか家を売ってまた家を買うなんて想像もしていませんでした。

でも低迷期を抜け出したかった私たちは、それをきっかけに本気で考え始めたのです。

 

 新しい場所で新しい生活をしている今、その時の事を振り返るとその人には感謝です。

住み替えなんて大それたことを実行するきっかけを作ってくれたので。

 

そして低迷期から救ってくれたのですから✨